神崎塾長のつぶやき
令和6年夏号「山開き」
現在、「山開き」といえば、夏山登山の開始日とする印象が強いでしょう。その登山は、スポーツであり行楽です。しかし、歴史的にみると、それは明治以降のことであり、たかだか一00年ほどの流行現象にすぎません。
山開きという言葉そのものは、さらに古い歴史をもちます。旧暦での六月一日に行なう例が一般的でしたが、五月の末日に行なう例も少なくありませんでした。そして、そこでの登山は、信仰行事でした。
登山とはいわず、「山詣で」。あるいは、登拝。山開きから約一ヵ月の間、各地で善男善女が霊山霊峰に登拝するのです。その登拝を斡旋するのが先達たちで、山腹には宿坊も発達しました。
なぜ、各地で山詣でが盛んだったのでしょう。それは、日本が国土の六十数パーセントをも森林が占める山国だったからです。
私たち日本人は、ほとんどの土地で山を眺めながら暮らします。その山並みのなかで、とくに山容の優れた高峰をカミの山とみるのは当然のことでしょう。そこには、諸々の精霊が棲む、死霊も棲む、とします。仏教や神道が成立する以前からの、日本人の信仰観の原型がそこにありました。各地にオヤマ、ミヤマ、ミセン、ミタケなどと呼ばれる山が存在することが、それを物語っています。
山に棲むのは、さまざまなカミであり、諸々の精霊です。が、総じていえば「山のカミ」。その山のカミは、正月には歳神となって里に降り家々を巡る、とされました。また、節分(二月三日)を過ぎて八朔(八月一日)のあたりまでは田のカミとして稲作を守護する、とされました。山のカミは、いわば原始日本の万能神だったのです。
その山のカミを崇めるまつりが、年に一度、山に登って山頂で行なわれていました。それが、時代とともに山麓に拝所が設けられるようにもなりました。とくに、仏教の伝来以降は、山麓に仏寺が、それに準じるかたちで神社が建つようになりました。ただ、そこでも山が祖の神体ということを伝えています。仏寺に山門や山号がつき、神社に鎮守の杜がついているがごとくにです。
登拝は、まつりのひとつの原型でもあるのです。したがって、日時を決めずして誰彼かまわず神聖なる山に踏み込むのは、慎まなくてはならないことでした。古く、山開きは、時どきに里に降りて人々の願いを叶えてくれる山のカミに敬意を表して人々が会いに行く日だったのです。

