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暮らっしっく日本 五十鈴塾

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神崎塾長のつぶやき

令和5年夏号「花火」

ドーンと鳴って夜空に打ち上がる花火は、

夏の風物詩となっている。

だが、火薬を使う花火の歴史は、そう古くはたどれない。種子島に鉄砲が伝えられた天文一二(一五三四)年以降のことであるわけだが、その起源については定かでない。

花火がはっきり文献に登場するのは、一八世紀のこと。『武徳編年集成』(元文五=一七四〇年)や『駿府政治録』(安永六=一七七七年)などによれば、江戸初期の慶長一八(一六一三)年、花火に精通した蛮人ばんじんを伴った英国人が長崎からやってきて家康に引見し、鉄砲や望遠鏡などを献上して花火をみせた、という。すると、花火の普及は、江戸も初期のころから、としてよいだろう。というのも、寛文年間(一六六一~七三年)には、「花火法度はっと」をもって、市中での花火の打ち上げが禁じられているのである。

もちろん、はじめから大輪の打ち上げ花火だったわけではない。当初は、舟遊びに出たすずぶね(屋形船)の客が自ら花火を買って即興に上げさせたものであった。だが、しだいに、涼み客を集める手段として、船宿や料理屋が大がかりな花火を打ち上げるようになった。そして、おかみの手前もあって、日時を一定に定めるようにもなったのである。

こうした経緯のもと、隅田川の大花火が行事化されたのは、享保一八(一七三三)年のこと。両国の水神祭にあわせ、献上花火と銘打って打ち上げた、という。

明治以降は、日本各地で花火大会が盛んになる。いまや、夏のまつりやイベントに花火は欠かせない。「日本人は花火好き」といえようか。それは、ひとつには、サクラと同様に、花火の美しさと散り際の見事さが日本人の感性に合致したから、といえるかもしれない。ただし、花火は、ひとり日本だけでなく、世界でも広く愛されてもいるのだ。一例をあげれば、アメリカでは独立記念日に、フランスでは革命記念日に盛大な花火大会が催されている。

思えば、人類の誕生以来、人びとは、火への畏怖いふを抱いてきた。たとえば、神仏を迎えるとき、かがりを焚いたり蝋燭ろうそくともしたりすることが広く世界に共通する。そして、その芸術的な昇華が花火であるとすれば、それもまた人類が広く共有してしかるべきなのであろう。

伊勢 美し国から

番組概要

「伊勢美し国から」は、日本人古来の生活文化を「美し国」伊勢より発信する15分番組です。
二十四節気に基づいた神宮の祭事や三重に伝わる歴史、文化、人物、観光、民間行事などを紹介。古の時代から今に伝わる衣食住の知恵と最新のお伊勢参り情報を伝えます。
五十鈴塾は、日本文化の再発見を目指して各種講座及び体験講座などを開催してきた実績を活かして、この「伊勢美し国」番組企画を行っています。

令和4年1月 伊勢神宮と五十鈴塾

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