神崎塾長のつぶやき
令和6年秋号「忘れられた疫神様」
医療機関が未発達な時代には、「疫病送り」という民間行事が伝わっていました。「疫神(厄神)送り」ともいいます。
藁や草や紙で人形を作り、それに病気をもたらす悪霊を移して村境まで運び、追放するのです。そこで焚きあげる事例もあるし、川に流す事例もあります。農村では、害虫を払うことを重視しての「虫送り」が行なわれてもきました。
江戸の町では、「疱瘡送り」が行なわれていました。紙や布で人形を作り、それで神体を撫でて川に流します。桟俵(米俵の円蓋)に赤い御幣を立てて流すこともありました。それは、疫神は「赤」を嫌うという伝承にしたがってのことでした。
とくに疱瘡神は、小童や娘、媼のなりをして来る、ともいいました。そして、小童や娘のなりをした疱瘡神が来ればその病が軽く、媼のなりをして来ればそれが重い、ともいいました。しかし、杖と草鞋が戸口に立ててある家では、媼の疱瘡神がそれを見て、爺さんが先に来ているならと諦めて引き返すので難を免れられる、という話も伝わります。
まじない、といえばそれまでですが、種痘が実施されるようになってからもしばらくは、こうした防疫祈願のまじないがなされていたのです。
たとえば、昭和になってからも、奥美濃地方の農山村で「この家に子供は居らず」とか「子供は留守」と書いた紙を戸口に貼りつけておく習慣がありました。疱瘡をはじめとする疫病は、子供への感染と死亡の割合が高かったのです。
近代以降、疫病に対しての感染対策の医療法も徐々に出はじめてきます。とはいえ、その医療的対策の徹底には、なお時間を要します。たとえば、大正七(一九一八)・八年にスペイン風邪が大流行しました。そのとき、さまざまな対処がなされましたが、特筆すべきは、全国の市町村単位で「避病舎」が建造されたことです。第二次大戦後まで建物が残っていたところがあり、そこに戦地から引き揚げてきたマラリア患者が隔離されていましたから、その跡を知る人はまだいるでしょう。でも、そこに疫神が祀られていたことを知る人は少ないはず。すでに医学が浸透していた時代にも、疫神信仰が伝わっていたのです。
なお、世界に先がけて日本人がマスクを着用するようになったのも、そのスペイン風邪流行があってからのことでした。
それも、今は昔の話となりましたが、先人たちの歴史は重いもの、と忘れずにいたいものです。

